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中国

2009年12月 2日 (水)

瀋陽市高官たちと会食

1124午後、教師の会の幹事をしている私たち瀋陽市人民政府の人たちに招かれて、一緒に食事をした。インターコンチネンタルホテルの横のビルにあるレストラン街のなかの店だった。

1021日に、教師の会の幹事の一人の高澤先生が、来年度の日本語文化祭の開催に、瀋陽市の後援をお願いするために市政府まで一人で出かけた。瀋陽大学の教え子の一人が瀋陽市当局の幹部の息子という伝手をたどって訪ねたそうである。

幹部に会っていろいろと説明をしたところ、そのような催し物はとても意義がある、是非後援しようと快く引き受けてくれた上に、教師会の幹事のメンバーと一緒に歓談しようと席を設けて誘われたのだった

当局の人たちが4人来て、こちらは5人。5時半から8時半まで、初めて会ったのに、じっくりと落ち着いた、そして友好的な食事会だった。高澤先生はこれで会うのは二度目だが、既に先方からは朋友扱いである。私以外飲める人たちが揃っていたのも、良かったようだ。1949年以来新しい中国だが、それでも男は飲めないと英雄にはなれないみたいだ。

来年は札幌市と友好都市締結以来30周年の節目だという。このほかには川崎市と友好都市を結んでいる。どうして札幌と友好都市になったのですか?

地理的環境が似ているが、それだけではなく、これには加藤亨さん(ずっと以前は北海道道議会議員だろうか?)の貢献が大きかったという。彼は中国生まれで、瀋陽の前身である奉天に育ち、戦後は両都市交流の架け橋として活躍したという。4年前の25周年の記念式典には、92歳の加藤さんも参加して、瀋陽市の名誉市民の名誉を送られた。

この加藤亨さんについては、その後でネットで調べたが、おそらく加藤亨さんの後継者と思われる「ちば英守北海道議会議員」のサイトで25周年の記念式典の記事を見つけたのと、加藤亨さんの名前で「瀋陽会」という日中友好促進団体があることが分かっただけだった。

http://jp.jnocnews.jp/news/show.aspx?id=12123

営々として築いていく人々の営みは、歴史の中にどんどん飲み込まれて、失われていく。

瀋陽市のお偉方と一緒に話していると、日本語文化祭のイメージは、学生が舞台で歌、劇、踊りを披露するだけではなく、催し物には豪華に賞品を出し、舞台では日本美術の紹介も行い、客席を外に出れば金魚すくいもあり、たこ焼きも売っている盛大なお祭りのイメージが段々ふくらんできた。こうなると必要な費用を何とかして集めなくてはならないことになる。

その翌日になって、ご馳走になった礼状を書いたときに、今中国からホームページがアクセスできない不便について書き加えた。

遮断されたので別に作ったホームページにもアクセスできないし、更新も出来ない。私たちのホームページが問題になっているのではなく、日本その他の各国からの情報流入とここからの発信が止められているのだと思う、とも書いた

中国のサーバーを利用すれば良いと思うけれど、日本語で使えるのか、無償サーバーを利用してきた私たちとしてはいくら掛かるのか気になるし、何しろ中国語が不自由なのでなかなか踏み出せないので、適当なサーバーが会ったら紹介して欲しいとお願いした。

すると
24日に会ったうちの一人から返事のメイルが届いた。

私が希望しているサーバーは、単なる日本語が使えるコンピューターなのか、もっと詳しい状況を聞いた上で、できる範囲でお手伝いしようという返事だった。

それでこちらは喜んで、長文の事情説明のメイルを書き送って、先方の反応を待っているところである。

20091202 山形 達也

2009年11月24日 (火)

瀋陽日本人会の幹部との歓談

教師の会の来年の弁論大会担当のイベント係が、瀋陽日本人会の弁論大会係の人たちと初めての会合を1週間前に開いた。教師の会の弁論大会係は中の希望者がやっているのに対して、日本人会ではイベントを幹事会社に割り当てるので、日本人会からの実行委員は、やれと言うから出てきたと言う違いがある。


この会合に私は出ていないのであくまで伝聞に過ぎないが、日本人会の実行委員からはおやと思う反応があった。


教師の会側から、今までの弁論大会では受付、司会、カメラマンなど教師の会でやってきたが、今年は会員数が激減したことで手が回らないから日本人会の方で手配して欲しいとお願いをした。ところが実行委員からは、大会の成功のために、今一度教師の会でも目的意識を明確にして取り組んで欲しい、教師の会で弁論大会をやりたくなければ、考え直しても良いのだ、とまで言われたそうだ。


あれれ、あれま、という感じである。瀋陽日本語弁論大会は、だいたいが瀋陽日本人会がこの地区で日本語の普及のために始めたのだ。教師の会は実際に学校で学生の指導にあたっている先生たちの組織なので、実行部隊として必要であり、日本人会の依頼を受けて動いてきたのだった。


それなのに、教師の会がやりたいから日本人会が助けてやっているんだぞみたいな言い方はおかしい。これはつまり日本人会でも、それこそ初期の目的意識が会員から消えていて、ただ毎年何時ものようにやっています、その世話係になったけれど面倒なことだ、みたいなことになっているのだろう。


実際、商貿飯店と言う一流のホテルで開く日本語弁論大会にはのべ600人を超える聴衆が集まるが、日本人会からは、数年前高木会長の時に「せめて幹事は日曜日なんだし、せめて覗きに行きましょう」という運動の結果、数人が参加しているだけである。


日本人会こそ、大金をこの弁論大会のために使っていることだし、目的意識をはっきり持って欲しい。


それとは直接関係ないことだがちょうど同じ頃、教師の会の組織がこの秋から変わったので、新しい幹事を日本人会の幹部に紹介する儀式が必要になった。


このようなことは、数年前に会長が高木さんの時に教師の会会員を食事に全員招待して下さったことが初めてあって、その後、私たち教師の会の幹事が会長と事務局長を招待したのだった。


それも二年前のことで、それ以来私もそこには気が回らなかったが、今年はこの秋幹事の顔ぶれが変わったのを機会に、在瀋陽日本国総領事館に松本総領事を訪ねたし、今週の火曜日は日本人会の会長と事務局長を私たちが食事に招いたのだ。


もちろん顔合わせが大きな目的で、一緒に食事をして歓談するのが大事なのだ。まずは、ホームページをどうしたらいいだろうという情報交換から始まった。


教師の会は自分たちのホームページにアクセスできないことで困り抜いているが、日本人会も状況は同じなのである。調べてみると中国各地に日本人会(商工会)や教師の会があるが、無事に動いているのはサーバーを中国側においているもの、中国に日本から情報を伝えたい会社の代理を請け負っている日本のサーバー、あるいは日本政府のサーバーだけみたいである。


どうしたらいいのだろう。今までみたいに無料でなく有料になっても良いけれど、それがアクセス不能になったら全く意味はない。日本人会が良いサーバーを見つけたら教師の会も相乗りさせて欲しいものだ。


もう一つは、日本語文化祭と言う、今まで日本人会には関係のない催しがあるが、この後援に日本人会が乗り気になって欲しいというお願いである。


日本語文化祭は、元々は遼寧大学で始まった日本語を学ぶ学生たちの一年に一度の日本のお祭りだった。だんだん参加校が増えて教師の会もお手伝いをするようになり、一時は領事館も主催だったこともあった。


私はその頃の日本語文化祭に一度だけ参加したことがあるが、日本語を学ぶ学生たちのあふれるような喜びが歌、劇、踊りを通じて伝わってきて、見ているだけでもわくわくしたものだった。


弁論大会では応援の学生も駆けつけるが、本質的には個人の勝負である。それに比べると文化祭は日本語を学ぶ学生たちのはじけるような喜びがそのまま聴衆に伝わり、聴衆もそれに乗る感じで、日本語の普及にはこちらの効果の方が大きいのではないかと思えてくる。もちろんスポンサーが顔を出したってよい。


文化祭の運営に領事館が乗り気でなくなってからは、会の運営に必要な基金をどうするかという問題に直面した。昨年度は教師の会がぎりぎりの700元くらいを支援して会を開くことが出来たが、本当を言うとこの10倍欲しいところだ。


教師の会は瀋陽に進出している日本企業に日本語文化祭の意義を説いて支援をお願いしようかと考えた。ただし打診してみると、この不況で写真を減らしている記号が軒並みで、とても各企業が募金に応じられるような状況ではないだろうという。


そうなると日本人会が頼みである。日本語文化祭は日中友好親善、地域貢献事業での観点からみても、有用性だって大きいし、日本人会の事業にうってつけではないだろうか。


せっかくこうやって日本人会の幹部の方たちと顔を合わせたのだから、そのことも非公式にお願いした。正式には、幹事会でオブザーバーとして参加している教師の会の代表から申し入れることになる。


20091121山形 達也

2009年11月19日 (木)

11月の定例会は

1114日の土曜日の午後は教師の会の定例会だった。10月の薬科大学で開かれた定例会のとき次回は図書館で開催の心積もりだった。


しかし10月半ばに陳丹さんから彼女の店を教師の会の集まりに使って欲しいというメイルを戴いて24日に多田先生と山形が彼女を訪ね、今回初めて陳丹さんのお店で開いた会である。市政府の近くで瀋陽の中心にあると言っていいくらい便利な場所だ。


200911211_2

私たちは1時過ぎに着いて、机を並べたり床に新聞を敷いたりしようと思ったのだが、既に机は並べられていて20人くらいの会議は出来るようになっていた。


私たちは何しろ雪道を歩いてくるのでどうしても綺麗な床が汚れる。でも陳丹さんはどうせお店だから汚れるのですよ、そのままで良いのですよと言われてしまい、そのまま使わせて頂くことにした。


200911212 2時から始まった会議には、多田、瀬井、高澤、土屋、山形、小池、渡辺、梅木、巽、松下、石脇、有川、春日、石田、杉島、それに新しく参加の東北育才外国語学校の任絵美さんで、合計16人。休みは宇野、中野の二人。


はじめは、会議の場所が狭い、寒い、などと言う声も出たが、店は入り口のシャッターを閉めて営業中止で、店は私たちの会議のためだけに存在した。


狭いだけに、会議のために座っている会員同士の間隔がこんなに近かったことは未だかつてない。そのためにより親密な気持ちで話をすることが出来たのではないだろうか。全員から、もし陳丹さんの方でOKなら、この次もお願いしたいという声が出ていた。


200911213

会議の最後に陳丹さんとそのご家族(従兄弟だという)お二人の紹介。


5時の会議が終わって、陳丹さんも一緒に出かけたのはこれも陳丹さんに教わった原味齊という北京ダックの店(十一緯路店)。人数に比べて狭い部屋でテーブルは一つだったが、これを17人で囲んだ。それだけにこの時も人と人の間隔が近く、親密な雰囲気で食事会が出来た。


200911214
会員一人一人が陳丹さんに自己紹介をした。彼女の話も伺った。全員が陳丹さんの真摯な人柄に触れて、彼女のことをすんなりと友人として受け入れたように見受けられた。


次回の1212日土曜日の集まりも彼女の店を使わせて頂くことになった。8時散会。一人40元。


20091119 山形 達也

2009年11月11日 (水)

市図書館に寄付した図書目録作成

1110日は午後4時から教師の会の幹事が集まった。多田、土屋、高澤、瀬井、山形の5人。

 

一番大きな議題は、市図書館に寄贈した図書目録をPCで作成する方法である。

 

土屋先生と高澤先生がいろいろと調べて、しかも、市図書館に何度も足を運んで、教師側の目録作成作業が図書館で出来るよう、いろいろと手順、方法を考えたのだ。

 

本にはISBNコードが付いている。これを利用すれば、書籍名、著者、発行所、年月日など市図書館が要求する項目のほとんどが入れられるはずである。

 

高澤先生はネットでいろいろと調べて「私本管理」フリーソフトを手に入れた。

 

このソフトは、ISBN番号を手入力すると、ネットの上でAmazonとつながり(Amazonが持っているデータなら)だいたい必要なデータが手に入る。

 

これをExcelに移して、その上で並べ替え、さらに手入力の必要な項目を入れると、市図書館が要求する図書目録が出来上がる。

 

バーコードスキャナーでISBN番号番号を読み取るとたちまち上記のデータがPC上に並ぶようなソフトが欲しいと思ったが、それにはお金が要るみたいで、教師の会の手に余る。

 

市の図書館で持ち込んだPCからネットにアクセスするためにはLANがなくてはならないが、それは近いうちに市側が図書室に工事をするという。

 

それがそろえば、PCを持参して市図書館の図書室で、本を見ながらを一つ一つPCに入力をしていけばいい。どのくらい掛かるか知らないが、本は6千冊足らずだから、何時かは出来上がる。

 

そこで疑問がある。

 

本の目録(資料)ができあがってそれがPCに入ったとき、本にはどのようにして印を付けておいたらいいのだろうか。本には同時に何か書き込まないと(ラベルを貼る)、一対一の対応が付かない。

 

しかし、土屋先生によると、図書館側は、いいぇ、そこまでで良いんです、そこまで出来ていればあとはこちらがやりますよ、ということなのだそうだ。

 

私たちは大いに心配しているが、どうして没問題なのか、全く理解できない。

 

ともかく、4時からの集まりを私の研究室で開いたので、マイナス5度の寒空に外出しないですむ私は楽をした。ほかの4人の先生たちは大いに気の毒だ。申し訳ない気持ちを表そうと、冷たいミカンを沢山買って待ち受けた。

 

4時少し前に土屋さんが最初に部屋に入ってきた。彼を取り巻いて冷気がどっと押し寄せて、たちまち私は凍えた。続いて入ってきた3人もあまりの寒さに呆然という感じ。校門で来客を出迎えた多田先生も、遠くから来られた先生も、ありがとうございました。

 

図書の登録についての打ち合わせ、その他を6時半にひとまず終えて、近くの又一順荘に行ってあたたかな食事を楽しんだ。一人35元。

 

20091111 山形 達也

2009年10月31日 (土)

陳丹さんと会う

多田先生と二人で1024日の午後2時、陳丹さんと家族の経営する店を訪れて、2時間くらい話をした。日本に長年滞在した陳さんから、私に手紙が届いたからである。

 

陳丹さん:

 

さんは2000年から仕事のために日本に行ったが、行く前に覚えた日本語ではまるで役に立たず、アルクの日本語教師養成講座(通信教育)で勉強した。

 

2003年からはアルクアカデミー教室で勉強して、正しく日本語が書ける、話せる能力を磨いた。周囲が日本人の中で『日本語教育能力試験』と『日本語教師検定試験』にも通った。

 

日本語の教育、勉強になる本を沢山集めたし、日本語を理解するためには日本の文化を知る必要があり、その本も集めた。

 

瀋陽に戻って自宅で本を公開して、翻訳をしながら日本語を勉強したい人に教えてきたが、自分のうちの店と日本語教育の拠点を一緒にして、この春、ここに店を開いた。日本語を教えているのは数人。週に二三日。日本語の勉強では遠回りをしたので、効率的な日本語の習得方法を教えたい。

 

中国語への翻訳は、日本神話に興味があるし、白川静の著作を紹介したい。自分自身の著作はまだないが、ブログを持っている。

 

 

陳丹さんの提案:

 

瀋陽に戻ってから翻訳や日本語教育をやってきたが、日本人と付き合う機会が少ないので、自分の日本語能力に自信を失いそうだ。この水準を保つために、日本人と話をする機会を作りたい。その代わり日本人教師の会の集まりに自分の店を無料で使ってほしい。

 

それで、以下のことを話し合った。

 

1. 教師の会の集まりに使わせて頂けるだろうか。

 

これは先方からの熱心な申し出があり、店そのものを使って(3m x 7m くらいか)良いと言うことだった。20人くらいの会議が可能である。定例会の時は、毎月第2土曜日午後2時から3時間くらい、私たちも少し早めに出かけてセッティングを手伝う。

 

2. いつかは資料室を作りたい。

 

現状の、資料室がなく資料室の書籍もない現状で、以前の機能を持つ資料室を考えても意味ないことだが、昨年春までの書籍のある資料室が教師の間でも、教師と学生あるいは市民との間でも交流に大きな役割があったことを思うと、何時かふたたび教師の会の資料室を持ちたいという夢を忘れられない。

 

 陳さんは、まだ使っていない部屋が一つあり(3m x 4mくらいだろうか)これを資料室のために使って良いと言うことだった。壁二面に本棚を置けば2-3千冊の本を入れられる。

 

 これはすばらしい提案で、小さな部屋ながらも(開元ビルは120平方米。集智ビルは82平方米)これからここを新しく資料室の夢を育てる場所とすることは考えられないだろうか。

 

 この先、教師の手元に集まる本は、図書館には寄付をしないでここに集めていって、たとえば陳丹図書館にする。教師も学生もここを憩いの場として日中交流のために利用させて貰う。

 

.   日中草の根交流の提案。

 

瀋陽には日本人と中国人との積極的な交流の場、あるいは機会がほとんどない。ここを拠点にして、両者の交流のための集まりを考えるというのはどうでしょう。中国人の日本語能力を磨く機会になるのではないでしょうか。陳丹さんからこれについて少なくとも反対意見はなかった。

 

さしあたり陳丹さんにお願いしたこと:

 

1114日(土)午後2-5時、定例会に使わせて下さい。

 

その後一人30-40元で会食できる店(一部屋に円形テーブが二つ入っていて、全員が一部屋で会食できること)を見つけて下さい。そのとき、陳丹さんもご出席下さい。

 

以上OKでした。

 

2009年10月23日 (金)

在瀋陽総領事館を訪ねる

おそらく教師会始まって以来はじめてのこと。1016日午後2時に、在瀋陽総領事館の松本盛雄総領事に、教師の会の幹事の人たちで挨拶に伺った。

 

これは、9月に教師の会の幹事が代わったのでご挨拶と言うわけだが、6月には教師の会主催の瀋陽日本語文化セミナーに松本総領事を招いてご講演頂いたし、昨年末には教師の会のメンバーが領事公邸に招かれてご馳走になったこともある。

 

この1月には行き詰まっていた日本語資料質の蔵書の行方について建設的な意見を頂いて、瀋陽市図書館に書籍を寄付する手続きが進行中である。

 

つまり、以前の総領事よりは身近な存在と言って良い。

 

実際、領事館のHPで毎月更新される松本総領事メッセージは、通り一遍の、役人の挨拶だけでない心打つ文面である。

 

1.市図書館とのその後のやりとりの報告

 

2.総領事館の菊田領事と教師の会との関係がぎくしゃくしているので、その問題の検討

 

3.夏に交代した文化担当平柳領事の後任の足立領事にご挨拶

 

当日伺った当方の幹事は、多田(代表)、土屋、高澤、瀬井、山形の5人。

 

帰りは猛烈な土砂降りの雨で、誰もがずぶ濡れになった。

 

20091023 山形 達也

2009年10月22日 (木)

教師の会・会則改正

1017日の定例会で会則の改正が承認された。

 

主なことは、会長・副会長という言葉に代えて、代表・副代表という表現にしたこと。

 

資料室がなくなったので資料室係の代わりに図書係。

 

弁論大会、日本語文化祭、クリスマス会の係を一つにまとめてイベント係にしたこと。

 

教師の会のホームページにアクセスできないので、ここに掲載する。

 

 

瀋陽日本人教師の会 会則

 

1 この会の趣旨

 

  この会は、瀋陽市とその周辺で日本語を使って教育・研究に携わっている日本人教師や研究者の集まりです。さまざまな経験や資格でここ瀋陽に来た私たちは、年齢や性別、経歴などを超えて、一人の人間、一人の日本人教師・研究者としてこの会に参加します。

 

  私たちの職業と生活のために必要な情報・教材などをお互いに交換し、中国における私たちの滞在を有意義なものにするための会として、この会の運営はみんなで分担し合い、協力し合うことによって進め、私たちの活動を日中友好の一助にしましょう。

 

2 会員資格

 

○ 日本国籍を有し、瀋陽市とその周辺で日本語を使って教育・研究に携わっている人で、各教育機関から招聘状あるいは専家証を発給されている人およびその家族でこの会の趣旨に賛同される人で本会が認める人。

 

○ 年会費を納入した人

 

3 会費

 

  100人民元(半年未満の場合は50元)。その他必要に応じて適宜徴収する。新加入会員は入会時に入会金50元を徴収する。年度最初の定例会で前年度の会計報告を行う。

 

4 この会ですること

 

○ 毎年9月の年度始めの定例会でこの会の趣旨を確認し、分担と予定を話し合う。

 

○ 瀋陽日本語弁論大会の企画、運営に協力し教師の会全体で参加する。参画については別途実行委員会を組織し、主催団体や機関との連絡を密にして、特に弁論大会設立の趣旨の継承に努力する。

 

○ 情報の交換、授業や教材の研究及び親睦などは適宜に計画して行う。

 

5 この会の組織と役割分担

 

① 代表(1名):本会を主宰する。他の機関や団体との連絡に責任を持ち、本会の代表として行動する。原則として瀋陽市在任期間の長い人を選出する。

 

②  副代表(3名前後):代表が若干名の副代表を指名する。副代表は代表を補佐して会の連絡と調整を行い、代表に事故のあるときは、いずれかが代表の任に当たる。副代表は、渉外、広報、日本人会等との諸連絡を担当するほか、定例会の司会をかねる。代表と副代表は幹事会を構成する。

 

③ 研修・リクリェーション係(3名前後):会員に役立つ研修を企画するほか、会員外にも向けた日本語文化セミナーを企画・発信する。会員の親睦のためのリクリェーションを企画し実行する。

 

④ 書記・会計係(3名前後):定例会の記録をホームページで公開する。年会費と必要経費を徴収し、会計を記録して金銭を管理する。会計は一般会計と特別会計とに分ける。

 

⑤ ホームページ係(3名前後):瀋陽日本人教師の会のホームページの企画・編集・更新作業に当たる。 

 

⑥ 図書係(2名前後):瀋陽日本人教師の会が瀋陽市図書館に寄贈した図書に関して図書館と交渉に当たる。今後も瀋陽日本人教師の会経由で瀋陽市図書館に寄贈する書籍の窓口となる。

 

⑦ 日本語クラブ編集係(3名前後):定期的(季刊)に機関誌「瀋陽日本語クラブ」の企画・編集・発行に当たる。

 

⑧ イベント係(10名前後):瀋陽日本語弁論大会では弁論大会主催団体や各機関との連絡調整を行い、瀋陽日本語弁論大会を実行する任に当たる。

 

日本語文化祭では幹事校を定め、その学校の学生を中心として実行委員会を組織し、文化祭の立案・計画・各学校との連絡・調整を行い、当日の運営等を担当する。

 

瀋陽日本人会の企画するクリスマス会ではその準備と運営に協力し、その連絡と調整を行う。

 

それぞれの主担当者をあらかじめ決める。

 

⑨ 各係から1名はホームページ担当となり、ホームページ係と共に日本人教師の会の広報に努める。

 

6 会則の改正

 

  この会の会則の改正は、会員の多数が不都合と認めた項目について協議の上、改正することができる。会の性格上多数決はなじまないが、同意・調整がつかないときは「この会の趣旨」は会員数の三分の二、他の項目は会員数の二分の一以上の賛意をもって改正することができる。

 

 

 

細則

 

① 上記のそれぞれの係は任期2年くらいが望ましい。

 

② 研修・リクリェーション係はホームページの「活動記録」の中にある「リクリェーション記録」を更新する。

 

③ 書記・会計係はホームページの中の「活動記録」の中にある「議事録」更新と「年度会計報告」を担当する。

 

④ 図書係はホームページの中の「教師の会関係の図書」の更新を担当する。

 

⑤ 日本語クラブ編集係はホームページの中の「瀋陽日本語クラブ」の更新を担当する。

 

⑥ イベント係の弁論大会実行委員、文化祭実行委員はホームページの中のそれぞれ「日本語弁論大会」、「日本語文化祭」、「クリスマス会」の更新を担当する。

 

20091017日改正

 

2009年10月17日 (土)

瀋陽日本語文化祭の歴史

日本語文化祭に相当する集まりが最初に開かれたのは1996年で、遼寧大学日本語を学習する学生たちが日本語で歌、劇、踊りなどを大学内で発表して、互いに楽しみ、かつ学習意欲を刺激するために「遼寧大学日本語のゆうべ」と言う名前で開催されたと記録にある。

 

プログラムの一部の記録が残っている2001年は、第5回瀋陽日本語文化祭と銘打って、それ以降は<瀋陽地区で日本語を学習している学生の文化祭として行われたという。参加校の数が増え、「在瀋陽日本国総領事館」が後援となり、瀋陽在住の複数の企業からも寄付を頂いて規模を拡大することもでき< たと記録されている。

 

2001 年には、遼寧大学外国語学院〈遼陽〉、瀋陽外国語学校〈高校〉、瀋陽大学外国語学院、瀋陽師範学院日本語科、遼寧大学外国語学院日本語科、中国医科大学臨床医学日本語学科<、遼寧中医学院鍼灸学部、瀋陽薬科大学薬学部日本語班、が参加して遼寧大学で開催されている。

 

この後、東北大学も参加するようになったという。

 

2003年の第7回瀋陽日本語文化祭はSARSのために中止になった。

 

2004年の第8回瀋陽日本語文化祭は、その前に起こった西安の日本人留学生による不詳事件により中止となった。

 

2005< 年は反日運動が盛んとなり、瀋陽日本語弁論大会が中止になった年である。そのとき、日本語文化祭が続けて2<回開催されずに使われなかった基金があった。ちょうど「ジャパンウイーク」を開催中の在瀋陽日本総領事館小河内総領事と遼寧大学の石井康男氏の話し合いがあり、その結果として、「ジャパンウイーク」の企画の一部として「瀋陽日本語文化祭」が総領事館の新館で開催された。


なお、「ジャパンウイーク」の活動の一部として、弁論大会の入賞者によるスピーチもこのとき行われた(入賞者の全員は参加出来なかった)

 

最初の挨拶と祝辞は、遼寧大学外国語学院副院長・于麗萍氏と、小河内敏朗総領事が行い、最後の挨拶は瀋陽日本語文化祭実行委員会代表・遼寧大学・石井康男氏が行った。

 

プログラムにはこの文化祭を誰が主催したかは書かれていない。このときの費用は、それまでの遼寧大学が用意していた基金でまかなわれたと聞いている。

 

在瀋陽日本国総領事館小河内総領事は、瀋陽日本語文化祭の開催に意欲的で、その後は総領事館主催で行うとのことで、実際、2006年も総領事館新館で総領事館主催で開かれた。教師の会は企画と運営に参加した。

 

この2006年の日本語文化祭は、遼寧大学遼陽、薬科大学、航空学院、遼寧大学、東北大学、師範大学、育才外語、医科大学、瀋陽大学が参加した。

 

2007 年には総領事は阿部総領事に代わっていたが、ノースメディアの豪華ホールを借りて総領事館の主催として開催された。もちろん実質的な企画と、運営は教師の会の先生たちによるものであった。このときは国際交流基金に当時の森領事の示唆で申請を出し、得られた予算が大会費用に充てられたと聞いている。

 

<2007年は東北育才学校の参加があって10校、31<種目の演目に増えて盛況であった。

 

2008< 年の開催は、直前まで危ぶまれた。総領事館の文化担当菊田領事が「教師会が計画立案し、それを受け領事館が、何ができるか、考えていく。一切の予算措置は取っていないし、金銭的援助も一切しない」ということで、予算獲得に総領事館が動いてくれると思っていた教師の会は準備不足に陥った。

 

2008年は531日(土)に在瀋陽日本国総領事館新館を借りて開催されたが、主催は「瀋陽日本人教師の会」で講演と会場提供が「在瀋陽日本国領事館」となった。

 

2009年は、大学数校にわたる学生が日本語文化祭実行委員会を組織して企画の中心となり、教師の会の実行委員はその支援に回るという形で、日本語文化祭は航空学院の会場を借りて開かれた。

 

なお同じ日に、総領事館は同じ名前で全く別の瀋陽日本語文化祭を、瀋陽師範大学で開催した。

 

 

2000年度(2001年5月23日) 第5回瀋陽日本語文化祭 遼寧大学講堂

 

2003年度(2004年5月20日) 第8回瀋陽日本語文化祭 遼寧大学  中止

 

2004年度(2005年5月28日) 在瀋陽日本国総領事館

 

2005年度(2006年5月31日) 在瀋陽日本国総領事館

 

2006年度(2007年5月26日) North Media Building

 

2007年度(2008年5月31日) 瀋陽日本人教師の会主催 於在瀋陽日本国総領事館

 

2008年度 (2009年5月23日)瀋陽日本人教師の会主催 於瀋陽航空学院

 

 

以下のURLに詳しい情報が載っています

 

http://www.geocities.jp/kyosikai2004/index

 

http://sites.google.com/site/kyosikai09/

 

 

20091017  山形 達也

 

2009年9月28日 (月)

教師会のHPをみんなで

912日に開かれた新学期最初の定例会に私は出席できなかったが、そこでHP係に若い巽先生が責任者になると申し出て下さったという。嬉しい話である。0909281

 

22日には巽先生からメイルがあって、HPのことで会って相談しようということになった。場所としては私のオフィスがよい。

 

一番大きな目的は、教師の会のHPについて、現状のスタイル、内容、方向性がこれでよいのか、これからはどうしたらよいのかを相談することである。それと同時に目下作成中のHPに具体的にコンテンツをどうやって載せていくかの方法を具体的に伝授する必要がある。

 

このHPは数年前から私一人では手に負えなくなっていたので、弁論大会係、文化祭係、日本語クラブ編集係それぞれが、弁論大会あるいは文化祭の準備、進行状況、そして当日の結果や反省を書いてアップロードするような仕組みにした。しかしこれはほとんど成功しなかった。

 

0909282_2というのは、「ホームページビルダー」を使ったことのない人にとってはこのソフトを使うというのが大変大きな心理的バリアになるのだ。わずかに日本語クラブの編集係が1年余頑張ってくれただけである。

 

これらの更新されない分は私がやるか、あるいは手つかずのまま残るしかない。

さいわい、いまYahoo.geocitiesで作っていた教師の会のHPがここでアクセスできない。それで新しく作ろうとしているのがGoogle siteで、ここは特別なソフトなしにHPが作成できるすばらしいサイトなのだ。

 

0909283つまりHP係の巽先生だけでなく、関係者すべてに、Google siteでのHPの作り方を一緒に伝授すれば良いわけである。さらには、新しく自分のHPを作りたい人たちにも一緒に教えられる。というわけで、巽先生が関係者、そして興味ある人たちを募って集まったのが926日土曜日午後のことだった。

 

私はそれが分かってから、新しい教師の会のHPの体裁を少しでも整えて使いやすくしようと努力した。HPの現在の姿を、今ここに写真で残しておくことにしたい、だってこの先、随分と変わるだろうから。

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集まったのは、巽先生、多田先生、土屋先生、高澤先生、梅木先生、小池先生である。最初にHPの歴史と概況を話して、Google siteの説明をした。驚いたことには、なんと1時間半足らずで、Google siteHPを作るやり方を全員が理解したのである。

 

090926pcclubこんな嬉しいことは初めてである。今まで何度かHP係に集まって貰って「ホームページビルダー」を使ってHPを作る方法を伝授したが、未だかつて一度も成功しなかった。

 

一部とはいえ日本語クラブのアップロードをした山田先生は元々システムエンジニアということで、PCはお手のものだった人である。

 

0909285この先、日本語文化祭、日本語弁論大会、日本語クラブなど過去の教師の会の遺産をここに入れていく作業のほとんどは私が時間を掛けてやるにしても、2008年度分や、今年度分はこうやってやり方を身につけた先生がたの手に任せられそうである

 

Google siteは偉大である。もちろんそれを可能にする回線とHDD容量と速度の拡大があってのことだが、クラウドコンピューティングの考えが広まったのと、MSの天下にGoogleが果敢に挑戦しているからこそ可能になった技術である。

 

GoogleMSに打ち勝たないと、このsiteが続かないという悪い可能性もあるわけだが、このGoogle siteの簡便性に気づいて多くの利用者が増えればGoogle siteの安泰は続くわけだ。というわけでこうやって自発的に宣伝に荷担し、Google siteの利用者がどんどん増えるよう願っている。


(右に並べてあるGoogleHPの写真はクリックすると拡大されます。20091012日以降中国からはアクセス出来ないので、私たちにとって幻のホームページになってしまいました)

20090928 山形 達也


 


2009年9月14日 (月)

教師の会のHPを新しいサイトで作り始める

私が教師の会のHPを担当することを自発的に申し出たのは、2003年の秋の新学期だった。

 

どのくらいPCやインターネットをを知っていたかというと、東京工業大学に構内にLANが張り巡らされ、インターネットのメイルアドレスが割り当てられたのが1994年だっただろうか。自前でメイルアドレスを持つためにプロバイダーに入ったのは東工大を辞める直前の1998年だったと思う。あの頃はインターネットで性的な画像を血眼になって探してはいても、個人のホームページもほとんどなかった。研究室のホームページですら、作ろうなどとは思いもしない時代だった。つまり何も知らなかった。

 

瀋陽に来て、瀋陽日本人教師の会に入ると何か役割をやらなくてはならないという規約がある。日本語の教師でもない私は戸惑いつつも、Mac1988年から使っているし、ちょうど良い、良い勉強が出来る、自分のHPが作れるようになるかもと思ってホームページ係を志願したのだった。

 

しかしそれまで使ったことのないWindowsを使う必要があり、ホームページビルダー7をまず手に入れた。Macのソフトに比べてのソフトはなんと使いにくいことかと、ぼやき続けた。

 

目の前には私が入る前に去られた瀋陽工業大学の森岡敏明先生がYahooのサーバーにHPを作ってあった。これを更新することから始めるわけだが、唯一の相棒であった河野先生は翌年の1月に帰国してしまうし、本当に泣きたい思いだった。

 

それから6年以上経った。その間ずっとこのHPを育ててきた。他人は知らず、私にとって瀋陽日本人教師の会のHPのコンテンツはどこよりも充実していると思えるくらい、かわいい我が子みたいなものだ。

 

この地ではインターネットの規制がある。ここからHPに短期間アクセスできないことはたびたびあった。昨200810月から今年の2月までの遮断は長期だった。

 

この間、何度か別のサイトに作らなくてはいけないと思いつつ、膨大な内容を移す手間に躊躇していた。そしてまた、今年の7月からアクセス不能になった。もう看過できない。

 

HP作成には特別なソフトがいるのが面倒な理由だが、ちょうど幸い、Googleが、ブログに書き込む感覚で自分のHPが作れるサイトを始めていた。これを学生の陳陽に薦められ、まず自分のHPをつくった。

 

容量は10 GBと巨大である。Yahoono 50MB20倍だ。アカウントごとにGmailが使えてこの容量は25GBである。始まった頃1GBの容量にたまげたものだが、今はもっと大きくなっている。

 

このGoogle siteは、もちろん、大容量で無料だし、htmlは不要という最大の特徴があるが、実際に使ってみると、このサイトに自分の好みのファイルをftpで送り込めないのが不便である。もちろん、写真、絵、動画を自分のファイルに付けることは自由に、簡単に出来る(この容易さと多機能ぶりはブログの中では cocologが敵うだけではないかと思う)。

 

いうまでもないが、別のウエブページにリンクを張るのは簡単である。私はサイトの中のファイルは、Googleのお仕着せで作られたものしか存在できないことに文句を言っているのだ。しかし、これも私の知識が足りないだけで、まだ大事なことに気づいていないか、あるいはうまい方法があるのかもしれない。

 

というわけで、私のHPのサイトでさらに山形研究室のHPを作り、教師の会のHPも作り始めた。そして気づいた。これらはすべて一つのIDを共有している。HPが私のもののなら良いが、教師の会のHPはいずれほかの人たちと一緒に更新するようになる。そのとき私のIDでは困る。

 

というわけで、Googleで新しいIDを作り、そのサイトで教師の会のHPを新しく作り直し始めた。必要ならこのIDでまたいくつでも別のHPを作れるのだ。Googleは凄く気前の良いことを始めたと思う。

 

それにしても広告のスポンサーがつくだけでこれだけのものを支えていけるのだろうか。あるいはメイルの内容情報などが、実はいくらでも密かに利用出来るようになっていて、だから十分ペイするのだろうか。

 

理由はともあれ、このようにGoogleが私たちのニーズを何処までも満たすようになると、インターネットの巨大なプロバイダーが、メディアを支配するようになり、新聞メディアはニュースの発信機能だけしか持てずに、そしてそれでは稼げないから、消滅するしかないという話も真実みを帯びてくる。

 

20090914 山形 達也

 

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